ダボスの記事90本を、一つの文章に
90本の記事を読み込み、まとめた長文記事です。
記事を読むRichard Mort · 仕事の向こうにいる人
リチャード・モートです。リッチと呼んでください。デュッセルドルフを拠点に、調査や執筆、人と人をつなぐ仕事をしています。これまで6か国で暮らし、4つの言語で仕事をしてきました。思いついたことを調べ、進め方を探し、しかるべき人に話を聞く。その先に何が生まれるかを確かめるのが好きなんです。

英国のデヴォンで育ち、いつか日本に住むことを夢見ていました。きっかけの一つは、夜遅くに見たBBCの番組です。その後、シンガポールで5年間暮らしてから、ようやく日本へ。20年間を過ごし、そのうち11年間は神戸に住みました。47都道府県のうち44を訪ねました。あの頃の夢を実現し、その中で暮らせたことを誇りに思っています。
英国、オーストラリア、フランス、シンガポール、日本、ドイツ。どの国にも、暮らした時間があります。子どもの頃はオーストラリアのジャービス・ベイで過ごした時期もあり、2021年からはデュッセルドルフが生活の拠点です。日本とドイツの永住権を持ち、英語、日本語、ドイツ語、フランス語で仕事をしています。
そこで身についたのは、言葉だけではありません。相手が何を伝えようとしているのか、口にしていないことは何か。お互いに分かったつもりでも、話がすれ違っているときに、別の伝え方を探す習慣も身につきました。
正面から進めないときは、別の道を探します。日本のある大手銀行で自分の口座に利用制限がかかったときには、ドイツにいながら判断できる担当者を探し、必要な根拠を伝えて、5時間余りで解除に至りました。また、通常の顧客窓口では進まなかった問題で、Amazon Japanの社長に直接連絡し、ご本人から返信をいただいたこともあります。
息子と一緒にイングランドのEURO 2024準決勝を見たかったときは、主催者に直接連絡しました。その日の午後に定価で2枚のチケットを案内していただき、ドルトムントで観戦できました。
いずれも自分の生活の中での出来事ですが、この粘り強さは仕事でも変わりません。すぐには答えの出ない問い、まだつながっていない人同士、形になる手前のアイデア。そういうものに向き合うのが好きです。良い意味で、簡単には諦めません。
調査や文章を通じて、思いがけない場所や会話にたどり着いてきました。大阪・関西万博について書いたことが、VIPゲストとしての招待につながりました。ダボスでは、世界経済フォーラムの記事90本を読み、英語6,835語の一つの文章にまとめました。ダボスに関する私の仕事には、同フォーラムの広報責任者から個人的なお褒めの言葉もいただきました。
LinkedInには200本を超える長文記事を書いてきました。ただ、本数より、複雑な話を分かりやすくし、人が連絡するきっかけをつくり、それまで接点のなかった人同士の会話につながる文章かどうかを大切にしています。
私の文章は、私に新しい道を開いてくれました。皆さんの文章にも、そういう力を持たせられないか。お客様と一緒に考えたいことの一つです。日本で学んだ丁寧さを大切にしながら、最初の方法で進まなければ別の方法を試す柔軟さも忘れずにいたいと思っています。
90本の記事を読み込み、まとめた長文記事です。
記事を読む紅茶には目がありません。普段はアッサム派で、旅先でもアフタヌーンティーを楽しんできました。お茶の支度、会話、人が集まるきっかけになるところが好きです。2009年には、開業したばかりのシャングリ・ラ東京に掛け合い、宴会場で100人のアフタヌーンティーを開催しました。部屋、メニュー、時間配分、音楽。その細かい準備も楽しみのうちでした。
ホテルや行き先の名前以上に、大切な思い出が残る旅もあります。シンガポールのラッフルズは、息子のリオが初めて泳いだ場所です。オーストラリアでは、子どもの頃に暮らしていたジャービス・ベイの海軍基地を家族と再訪しました。自分の人生の一部を家族と分かち合い、リオに世界を見せたいと思ったんです。
私の中には、尽きない情熱があります。その源は、愛する息子のリオです。リオには、まれな遺伝子疾患であるFOXP1症候群があります。彼に必要な支援を見つけ、理解を深め、可能性を探すことは、私の人生で最も大切な仕事です。
シドニー・ハーバーで撮ったこの写真は、特に気に入っている一枚です。リオには多くの困難があります。それでも、素晴らしい経験をしてほしいし、できるだけ広い世界を見せてあげたい。その思いで、動いてきました。
私はInternational FOXP1 Foundationの日本担当アンバサダーを務めています。その活動でボストンやニューヨークを訪れ、研究者や医師に会いました。日本の家族が情報や支援にたどり着き、家族同士でもつながれるようにする仕事も続けています。この活動については、別のページで詳しく書きました。
